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2008-09年度国際会長 アルバート・ブランデル

真のヒーローは誰か、会長は知っている


ブランデル会長は実に現実的な人間である。しかし面白いことに、まるで「ハリウッド映画」のように劇的な人生を送ってきた。例えば警官だった頃、交通事故で致命傷を負った少女を助けようと病院へ急いだ。その数年後には、9月11日同時多発テロで愛する家族を失った人々のもとへ、遺体が見つかったと告げるため重い足を運ぶことになる。

カメラを会長の幼少期に向けてみよう。フランク・キャプラ監督の映画の始まりだ。緑の芝生に囲まれ、子どもたちでにぎわう環境で、彼は素朴な少年時代を送った。第二次世界大戦から復員した父は勤勉に働き、母は夕食の支度と大勢の子どもの世話に明け暮れた。会長は幼い頃から自分の居場所をわきまえ、喜んで受け入れていた。教会の侍者を忠実に務め、吹雪の中を歩いて真夜中のミサに通った。またリトルリーグの殿堂にも刻まれる歴史的チームに加わり、すばらしい強打者として活躍した。

新国際会長としては、やはり映画になぞらえて説明しよう。任期中にはヒーローが現われ、奇跡が起こり、ドラマが展開するに違いない。その主役はライオンズで、どんなハリウッド映画よりも華々しい活躍を見せる。最後の場面を迎えるまでに、皆にその事実に気づいてほしい。それがブランデル国際会長の願いである。

会員としてのやりがい
ブランデル会長はライオンズ会員としてさまざまな活動に取り組んできた。特に印象深い出来事の一つは、同じく会員のモーリーン夫人と共に、ハビタット・フォー・ヒューマニティの家を建てた時のことである。ニューヨーク州メルビルの家に入居する少女が彼女の新しい部屋を見せてくれた。「深く心を動かされる出来事でした」と、会長は語る。「小切手を書き、会費を支払うだけでは、真のライオンズにはなれません。週末に自ら現場に出向き、釘を打ち、屋根を取り付け、あなたが建てた家の壁にペンキを塗る。そして、その家に住む人々に会う。それが彼らの家になるのです」

ブランデル会長はウェスト・ヘムステッド・ライオンズクラブに入会したのは1975年。彼の友人フランク・アンザローヌは、このクラブの会員だった。アンザローヌは血友病を患っており、仲間たちは地域献血運動を計画した。「最初の年には献血してくれるようフランクに頼まれて、私はそうしました」と会長は語る。「翌年には献血運動に協力してほしいと言われ、三年目には献血運動の運営に携わりました。そしてライオンになったのです」

1977年には会長としてクラブの再生に貢献した。彼の目標は、知名度を向上させる事業に着手することだった。そこでクラブは地域に、救出装置「ジョーズ・オブ・ライフ」を提供することにした。購入費用は5,400ドル。当初会長は返済資金を集めるには3〜4年かかると考えていたが、実際には1年しかかからなかった。
「クラブ会長を務めた1年は、会員として最もやりがいのある時期でした。自分の仕事の成果を直接目にすることが出来たからです」と、語っている。

高まる奉仕への思い
奉仕はブランデル家の伝統でもあった。父のピーターは二つの仕事の上に、教区会の一員としても働いていた。大学時代に、ある友人が彼を説得して警察の試験を受けさせた。試験には見事に合格。そして退職まで35年間を勤め上げた。彼は自分の感情をコントロールする方法を学んだ。「効果を上げるためには適切な方法で対処する必要があります」と語る。

困難な状況に対処する能力は、9月11日の同時多発テロによって試されることになった。この日、ナッソー郡から400人が行方不明となり、彼はその多くに関する報告業務を担当した。ニューヨーク州その他のライオンズ・リーダーと共に、復興作業のコーディネートにも当たった。追悼集会を開き、また、遺体が見つかる度に遺族の家を訪ねた。

ブランデル会長はこの頃までに、ナッソー郡警察署青少年支援課の刑事になっていた。彼は行方不明の子ども、児童虐待、少年犯罪の捜査に当たった。この仕事には強い意志が必要とされたがやりがいがあった。「子どもたちに影響を与え、誰かの生活を多少とも改善する仕事です。自分にもその力があるのだと、私は実感することが出来ました」

モーリーン夫人との出会い
初めてのデートの時、「ちょっとライオンズと付き合いがあってね」と、彼はモーリーンに話した。「ライオンズって何?」と彼女は返した。「とても新鮮な驚きでした。やりたいことは何でも出来る40歳の男性が、余暇をボランディア団体で過ごしているなんて」と、夫人は語っている。

2人が結婚した年にブランデルは国際理事になり、モーリーンと共に世界中を訪問した。1999年には夫人もメルビル・ライオンズクラブに入会。クラブ会長、次いで地区指導力育成委員長を務めた。彼女のクラブの準会員となった会長曰く、「モーリーンは世界中の配偶者会員のモデルになるのではないでしょうか。自身の生活を送り、会員として実績を重ねることが出来るのです」

奉仕のヒーロー
ブランデルはライオンズの一員として、ユニセフのスクール・イン・ア・ボックス・プログラムに協力したことがある。これにより、災害によって授業を受けられなくなった子どもたちは学業を続けることが出来た。また南アフリカでは、小さなライオンズ地区の活躍を目の当たりにした。彼らは多くの人々に食糧を与え、飢えと病を遠ざけていた。「ライオンズは、地域社会に対する自らの影響力を十分に理解していません」と彼は言う。

「現代の真のヒーローはテレビ番組や書物の中にはいません。休日に食べ物を詰めたバスケットを持っていって誰かを笑顔にさせる、ライオンズのような人々こそがヒーローです。私の役割の一つは、こうした出来事や奇跡について語ることです。世界中の誰もが身近な場所で奇跡を起こせるはずなのです」